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野島伸司の性癖

 「性癖」とは三省堂新明解国語辞典第七版によると、その人の行動・態度などに表れる、性質上のかたより・くせとある。その意味から派生して、フェティシズムというニュアンスも含む。野島伸司1988年のデビュー以来、26年間で企画も含め40以上もの作品を世に送り出してきた。トレンディードラマから社会派不幸ドラマ、そして現在のコメディータッチという作風の変遷があるものの、彼の作品には同じようなモチーフが繰り返し登場する。その性癖から野島伸司の変わらぬ主張が読み取れる。不幸ドラマ3部作のうち2作品『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』(1994 / TBS)、『未成年』(1995 / TBS)と近年の作品『理想の息子』(2012 / 日本テレビ)、『49』(2013 / 日本テレビ)を軸に野島伸司のメッセージを読み解こうと思う。

 野島伸司が繰り返し用いるモチーフはいじめ、同性愛、近親相姦、自殺など、奇抜なものが記憶に残る。野島伸司を語る上でもっとも重要で繰り返されるモチーフは「心優しく、脆い少年」である。そして野島伸司はいつだってこの「心優しくて、脆い少年」たちから居場所を奪うのである。中学生や高校生の少年たちにとっての居場所とは「学校」と「家庭」だ。いじめや家庭の崩壊を用いて、野島伸司はこの2つを残酷に徹底的に奪う。親に理解されず、友人に裏切られた彼らは孤独に耐えられず、破滅的になる。

 「心優しく、脆い少年」は他人の痛みに敏感で、その他人と比べると自分の痛みなんてたかが知れていると思っている。そして、他人の痛みにも自分の痛みにも傍観し耐えることしかできない。助けたくても、どうにかしたくてもそれが裏目に出るのではないかとびくびくして動くこともできない。そして、やりたいことや夢中になれることもない。一生懸命なにかに打ち込むことを恥ずかしいと思っている。そんな彼らは自己肯定ができない。その要因は「比べること」と「比べられること」にある。

 彼らは誰かと自分を比べている。そして誰かと自分は比べられている。『人間・失格』の誠(堂本剛)は父親の再婚相手のおなかにいる弟と、『未成年』のヒロ(いしだ壱成)は出来のいい兄と、『理想の息子』の小林(中島裕翔)はみんなに慕われる大地(山田涼介)と、『49』の暖(佐藤勝利)は社交的だった死んだ父親と。比べ、比べられることは嫉妬と劣等感を抱かせ、憎しみを生む。また、金銭的な豊かさという問題が必ず作品内に含まれる。『人間・失格』の誠と留加、『未成年』のヒロと順平、『理想の息子』の大地と小林、『49』の暖とサチのように登場人物に貧富の差を描き、裕福な人々は「お金がありゃ幸せってわけではない」と嘆き、貧しい人々は「お金さえあれば幸せになれるのに」と僻む。「比べること」と「比べられること」について野島伸司が強く描いたのが『未成年』の最終話のクライマックスである。主人公のヒロ(いしだ壱成)が犯罪を犯した仲間と逃避行をした末に辿り着いた学校のシーン、あの屋上での「未成年の主張」だ。

 「俺はずっと考えてたんだよ。俺達はなぜ生まれ、なぜ死ぬのか。けどいくら考えてもちっとも答えなんかでやしねえ。けど俺達はいつも何かを考える。花や木や虫達はそんなことを考えたりはしない。花はただそこに咲いているだけだ。ただ無心に精一杯咲いていつかは何も言わずに枯れていく。俺はそんな花が大好きだ。永遠じゃないから。いとおしく思って大事に水をやる。俺達も永遠じゃない。やがては誰もが死んじまう。ただ花と違うのは考えることだ。もっとたくさんの栄養を吸収したい。もっと太陽の光を浴びた。できれば一人で独占したい。嵐が来て他人が流されても。同情はするが助けることはない。俺達は同情が好きだ。俺達は他人の不幸が好きだ。俺達はいつもいつも自分を他人と比べている。いつもいつも小さい不満がある。孤独で自分の無力を嘆いている!もうそんな生き方はやめよう。初めからやり直すんだ。ただ自分の足元と空を見つめるだけでいい。ただそこに咲いている花みたいに。俺自身も比べられてきた。けど俺自身も友達のことを比べていたんだ。知らない間にそいつに同情してそいつを…友達なのに…デクを…あいつは許してくれた。だから俺も初めからやり直すんだ。あんな事件を起こした俺でもやり直せる。俺の愛する人が教えてくれた。ただ精一杯そこに咲いていた彼女。人間の価値をはかるメジャーはどこにも、どこにもないってことさ!頭の出来や体の出来で簡単にはかろうとする社会があるならその社会を拒絶しろ!俺達を比べる、すべての奴らを黙らせろ!お前ら、お前ら自分は無力だとシラける気か?矛盾を感じて、怒りを感じて、言葉に出してノーって言いたい時、俺は俺のダチはみんな一緒に付き合うぜ。」

 ヒロは自分が父親に出来のいい兄と比べられたのと同じように自分も無意識に自分と知的障がいをもつデクを比べていた。このヒロの訴えは4分にも及ぶ。聴衆とのカットバックがあるとはいえ主人公一人語りである。

 このような「演説」は野島伸司作品に多々見られる。登場人物に野島伸司が憑依して語りだす。テレビドラマとは思えない、詩的でまるで戯曲の台詞のようなこの「演説」がその作品でもっとも野島伸司が述べたい主張であるのだ。「演説」はドラマ終盤、もしくは最終回に行われることが通例であるが、『理想の息子』は第一話に存在する。『理想の息子』の主題は「母親と子供」であり、母親という存在を「子供の根っこ」と表現している。(注1)第一話に結論ともいえる主張を持ってきた以外にもこの作品は例外が多い。野島伸司の作品には語り部が存在し、主人公の「心優しくて、脆い、普通の少年」がナレーションを用いて心情吐露をする。『未成年』ではヒロ(いしだ壱成)が、『49』では暖(佐藤勝利)が、『人間・失格』では死んだ誠(堂本剛)の残した手紙を森田先生(桜井幸子)が読み上げるという間接的な形ではあるが彼の心の声である。しかし『理想の息子』の心情吐露は母の海(鈴木京香)であり、主人公の大地(山田涼介)の心情吐露はない。そもそもこの主人公の大地は葛藤が浅い。まっすぐで人を傷つけることなく自己主張ができ、優しくて強い。なぜなら大地には母親に絶対的に愛されていているという大きな自信があり、自身も母親を愛している。そのため大地は野島伸司の「心優しくて、脆い少年」像と少々異なる。それが当てはまるのはどちらかというと母親の言いなりになり卑屈で意気地なしの友人、小林(中島裕翔)である。小林は大地と比較され、母親にまで「大地くんのような息子が欲しかった」と言われる。大地が感情的でヒステリーぎみな母親や問題行動の多い学校の友人に振り回されてストーリーは展開するが、最終話目前の9話において事態は一変する。大地と比べられ続けたことによる嫉妬と劣等感を募らせた小林に裏切られたうえ、最愛の母親が再婚を決める。「学校」と「家庭」の2つの居場所を奪われた大地は壊れる。自分の軸であった母親を失った大地は「心優しくて、脆い少年」である。裏切られてもなお小林を庇う大地の心情吐露を主題歌が補う。この作品のメインキャストにはジャニーズ事務所のタレントが3名出演している。従って、ドラマと平行してジャニーズタレントが歌う主題歌も推していかなければならず、ドラマの見せ場では主題歌を流す。そしてこのドラマの主題歌、『SUPER DELICATE(注2)野島伸司が作詞を担当しているのである。いままでエンディングで流されていたこの曲が挿入歌として流れ、大地の心情とシンクロするのである。


(注1)

【理想の息子 第1話】

 マザコンであると先輩たちに馬鹿にされているときの大地の演説。

〈大地〉

「赤ちゃんひねり出すのはスイカが鼻から出るほど痛いらしい。何が気に入らねえのか 一時間に最低一回は泣き叫ばれて、毎日、睡眠不足でノイローゼにもなりかかる。終始だっこで腱鞘炎さ。だけど評価なんてしてもらえない。妊娠は病気じゃない。「子育てなんて 誰でもしてきたことなんだから」って。まるで報われないのに必死でがんばって不安と希望に揺れながら子供のために真っ暗な土の中で根を伸ばす根っこさ。そう 母ちゃんは俺たちの根っこなんだ。母ちゃんは根っこだ。俺の根っこなんだ。テメエの根っこ嫌って、人生、花なんて咲くもんかよ!俺はマザコンじゃねえ。ただ母ちゃんが好きなだけさ。何発殴られようが世界中に叫んでやるよ。俺は母ちゃんが大好きなんだよ!このやろう!!!」

 

 

(注2)

SUPER DELICATE

 Hey!Say!JUMP 作詞:野島伸司 作曲:加藤裕介

ああ僕には

君にしか見せられない顔がある

 

他人の前では空気を読んで 作り笑いを続けている

もっと頑張れと言われたら 素直に頷いたりもする

 

子供の頃は知らなかった 自分がこんなに臆病だなんて

泣きたいよ 泣けないよ この胸がはりさけそうさ

 

君にしか見せられない顔がある

君にしか見せられない顔がある

大丈夫と微笑ってくれた

ああ僕には

君にしか見せられない顔がある

 

大人になると学習をして 偶然なんかに頼らない

だけどもしかしたらそれは 奇跡だったりしないだろうか

 

不思議な力が湧いてくる 君が勇気をくれたんだね

愛してる 愛してるんだ この胸が張り裂けそうさ

 

君にしか見せられない顔がある

僕にしか見せられない顔がある?

いつまでも いつまでも手を繋いでいた

ああ僕には

君にしか見せられない顔がある

 

子供の頃は知らなかった 自分がこんなに臆病だなんて

泣きたいよ 泣けないよ この胸がはりさけそうさ

 

君にしか見せられない顔がある

君にしか見せられない顔がある

大丈夫と微笑ってくれた

ああ僕には

君にしか見せられない顔がある

 


 『理想の息子』を含め、近年の作品は90年代の社会派不幸ドラマとは対照的にコメディー要素が多い。これは何を意味しているのだろうか。社会派不幸ドラマと呼ばれた『人間・失格』や『未成年』も終始シリアスなシーンというわけではない。主人公達は仲間と和気あいあいと過ごし、ふざけ合う。辛い出来事があっても気丈に振る舞う。しかし、破滅的で退廃的なエンディングを迎える。一方『理想の息子』や『49』、などの作品は最終的に日常に戻る。多少の変化があっても彼らの生活は変わらない。少年達の成長を描く。これは近年のテレビドラマ作品の全体的な特色でもある。そしてコメディー要素が高まるとシリアスなシーンがより際立つ。光が明るいほど、闇は暗い。『明日ママがいない』(2014 / 日本テレビ)でもその構成と演出が用いられている。辛くて悲しい現実に気丈に振る舞う、不自然なほどにはしゃぎ気を紛らわす様子をコメディータッチで描き、それがかえって辛くて悲しい現実をより濃くする。

 また、近年の作品では自己肯定ができない少女や女性に向けてのメッセージ性が高まっている。要因はジャニーズタレントの起用が挙げられる。ジャニーズタレントが必ず出演する日本テレビの深夜ドラマ枠で放送された『49』は野島伸司からジャニーズファンの少女や女性へのラブレターであった。ヒロインのサチ(山本舞香)は自分に自信がなくどうせわたしなんかという態度で大きな諦めをもっている。ジャニーズにはまる女性の多くはどこか現実的な恋愛やものごとに大きな諦めをもっているのだ。白馬の王子様は存在しないと理解しつつも、どこかで白馬の王子を待っている。幼女期に見た叶わぬ夢を諦め、ジャニーズという世界に逃避している。イミテーションなのである。それは女児アニメの魔法のステッキの玩具のように、本当は魔法は使えないプラスチックの偽物だ。それを案じているかのようにジャニーズのコンサートのペンライトは女児アニメの魔法のステッキのような形状である。『49』最終話のクライマックス、暖(佐藤勝利)に移った死んだ父親の魂とサチ(山本舞香)との別れのシーン、別れを渋るサチに暖は言う。「サイコーだな、こんな年でこんな若くてカワイイ子にそういってもらえるなんて。」自分は可愛くないと言うサチも対して暖は「鏡、ちゃんと見ろ。おまえはきれいだ。大人になったらもっときれいになる。」と答える。現実から逃避している少女や女性のじめじめとした自己否定に野島伸司は優しく語りかけている。

 野島伸司の作品は一貫して、自己肯定を促しているのである。生きているって素晴らしい。人は誰しも計れない、比べることのできない同じ価値がある。自分と同じように人の命は大切である。自分を大切にできなければ、人を大切にすることはできない。『人間・失格〜もしぼくが死んだら』の最終回での森田先生の演説(注3)に答えはある。自分自身を受け入れることができてこそ他人を受け入れることができる。時代や作風が変われどこの主張をさまざまなモチーフを用いながら、野島伸司20年間もの間変わらず主張してきたのである。



 (注3)

人間・失格〜もしぼくが死んだら 最終回】

 全校集会においての野田先生の演説。

〈野田先生〉

大場誠くんを殺したのはここにいるみんなです。

私も含めて直接いじめに関わった人、からかうようにたきつけた人、見て見ぬ振りをした人、知らなかった人、ここにいるすべての人が大場くんを殺したんです。あなたたちには実感がないんです。生きてる実感がきっとないんです。何か大きなものに流されて、自分が何なのか分からないでいるんです。人間なのか、自分の体の中に何色の血液が流れているのか、傷けると痛みを感じるのか、それが分からないあなたたちは友達の体から血が流れて、

苦痛に顔を歪めて、孤独や絶望で表情を失ってくのを見てほっとするんです。友達を傷つけることで生きてる実感を感じようとするんです。勘違いしないでください。友達にいくら赤い血が流れていても、涙が溢れていても、それはあなた達自身じゃない。

あなたたちは人間だとは言えません。みんなは生まれたことだけでもうとても素晴らしいことなの。生きてることだけで素晴らしいことなの。自分自身の存在に早く自分自身で気づいて。素晴らしい自分の命と同じように友達の命も素晴らしいことに気づいて。

自分を愛するように友達も愛して。

 

 

(参考資料)

【明日ママがいない 第6話】

施設職員のポストが問題を起こし、そのことに関して憶測で追い出そうとするこどもたちに対しての施設長魔王(三上博史)の演説

〈魔王〉

持っている枕をその胸に抱きなさい。

おまえたちは何に怯えている?おまえたちは世間から白い目で見られたくない、そういうふうに怯えているのか?だから、そうなる原因になるかもしれないあいつを排除する、そういうことなんだな。だがそれは表面的な考え方じゃないのか。もう一度この状況を胸にいれて考えることをしなさい。おまえたち自身の知るあいつは本当にそうなのか?乱暴者でひどい人間か?そんなふうにおまえたちはあいつから一度でもそういう行為や圧力を受けたことがあるのか?ならばなぜかばおうとしない。世の中がそういう目で見るならば世の中に向けてあいつはそんな人間じゃないってなぜ戦おうとしない。あなたたちはあの人のことを知らないんだってひとりひとり目を見て伝えようとそう戦おうとなぜ思わない。

臭いものに蓋をして自分とは関係ない、それで終わらせるつもりか?大人ならわかる、大人の中には価値観が固定され、自分の受け入れられないものを全て否定し、自分が正しいと声を荒げて攻撃してくるものもいる。それは、胸にクッションを持たないからだ。わかるか?そんな大人になったらおしまいだぞ。話し合いすらできない、モンスターになる。だがおまえたちはこどもだ、まだ間に合うんだ。

一度心に受け止めるクッションを、情緒を持ちなさい。

この世界には残念だが、目を背けたくなるようなひどい事件や、辛い出来事が実際に起こる。だがそれを、自分とは関係ない、関わりたくないとシャッターを閉めてはいけない。歯を食いしばって、一度心に受け止め、なにがひどいのか、なにが悲しいのか、なぜこんなことになってしまうのかそう考えることが必要なんだ。おまえたちはかわいそうか?ほんとうにそうか?両親がいても、毎日のように言い争いをしているその氷のような世界にいるこどもたちはどうだ?両親がそろっているくせにと、冷たく突き放すのか?もっとつらい子もたくさんいる。誰かに話したくても言えない子だっている。それでもおまえたちは、世界で一番、自分がかわいそうだと思いたいのか?そうだ、違うだろ、うんざりだろ。上から目線でかわいそうだなんて思われることに。何が分かるってんだ、冗談じゃない。かわいそうだと思う奴こそがかわいそうなんだ。

つまらん偽善者になるな。

つまらん大人になるな。

つまらん人間になるな。

あおえたちがつらい境遇にあるというならその分、人の痛みが分かるんじゃないのか?さみしいとき、そばに寄り添って欲しい、自分がそうしてほしいことをなぜしようとしない。

おまえたちが心にクッションが持てないと言うのなら、これからたとえどんな条件のいい里親がきたとしても、実の親がもう一度迎えに来たとしても、俺はこの家からおまえたちを出さんぞ!絶対に出さん!これがあいつのノートだ、おまえたちひとりひとりのことが書いてある。アレルギーのこと、何が好物で何が嫌いか、大切にしているものは何か、誕生日はいつか、そしてどんな子どもか。ひとりひとり手にとってそれを見なさい。それでもあいつを追い出したいと思うならそれでもかまわない。あいつは黙って出て行くだろう。いいか、最後にもう一度いうぞ。一度、心に受けとめるクッションをその胸に持ちなさい。世界に存在するあらゆる汚れや醜さに目を背けず一度、受け止めてみなさい。それができる人間は一方でこの世界の美しさ、愛おしさを知ることができるだろう。

おまえたちは傷つけられたんじゃない、磨かれたんだ。